公共性のある某予算の申請から審査(その後採択)にあたって,「地味な研究」というコメントがあってちょっと考えさせられたので以下に少しだけ。まず,最初に言いたいことは,審査員から文章によるコメントを頂くタイミングは2回あって,この取り組みはとてもいいと思うということ。審査員と議論できる時間は限られているし,自分の研究テーマがどのように感じられているかが集約的に分かるため,今度も続けてほしいと個人的には思います*1。
まず,このコメントの良いと思うところ。
- 率直なコメントであること
- 似たようなコメントを2件頂いたのですが,そういう率直な意見はとても大事だと思うので,是非率直でざっくばらんなコメントをする(そういうコメントもきちんと拾って集約する)ことは続けて頂きたいと思います。
- 地味だということを確認できたこと。
- 今回の申請研究は確かに自分でも地味だと思っていて,ただやっぱりこういう研究はほとんどなくて重要だと思うので,ダメ元で(しかもKAKENではなくて,こちらに)出した。というのが正直なところです。なので,自分の感覚にズレがないということがわかって良かったです。
一方で,考えさせられるのは,
- ”地味な”研究が必要と判断(採択)されたこと
- こちらはやはり考えさせられるように思います。なぜ,”地味な”同様の研究がやられていないのか,この意味は深いように思います*2。目新しいほど役に立つ(例:政策上有益な知見の取得に繋がる)とも限らないし,地味だから役に立たない(助成する価値がない)ということもないという点は結構重要かなとも思います。
ということを帰りにぼーっと考えてしまったので,備忘録として。