A way of thinking

筆者個人の思考過程です。意見には個人差があります。

ある原稿に対するコメントのちょっとしたメモたち。一部少し表現が過激ですが,匿名者からのコメントということでお許し下さい。あ,内容の精度は補償しませんので,あしからず。

SSD(種の感受性分布)は個体レベルの影響を群集レベルの影響に外挿する手法(ここについては,このブログのコメント参照)。ただし、その元になる毒性試験のエンドポイントは個体レベルのもの。

忘れてしまうが,確かに(理想は)その通り。要注意。まぁ生態学的に"いまいち"なことは変わらないですが。

亜鉛の排水基準強化について】排水基準は環境基準の10倍(河川で10倍以上に希釈されるから)の値となるのがこれまでの通例で、【亜鉛の水質環境基準は30μg/L】それでは300μg/lとなり厳しすぎるから....後略

この手のコメントは前にも数回聞かれたことはあるのですが,ここには誤解がありまして。。10倍希釈の考え方は,水質環境基準の人の健康の保護に関する環境基準について,通常適用されているものです。したがって,生活環境の保全に関する環境基準である全亜鉛は,10倍希釈が通例であるという土俵の上では議論できないと考えています。なお,該当部分は文章を書き換えました。

面源負荷を減らすのは点源以上に大変なので、費用対効果で考えれば排水基準の強化は悪くない対策かもしれないよ?

生物の保全効果まで話を広げるとややこしいので*1,濃度だけで考えると,ある河川で点源を規制しても環境基準を達成できないのであれば,少なくとも面源と点源を両方一緒に規制しないと(環境基準の達成という意味で)意味はないと思います。もちろん,河川によっては色々ケースは考えられるので,全体的な議論となると難しいですが。

環境基準は安全側に設定されていると前述されており、環境基準から排水基準にいたる過程の課題が後述されているので、「環境基準が達成されないと予想される事例が複数あるから問題である」というロジックは岩崎さんの主張がどこにあるのかなあと感じた。むしろ、これは大きな問題ではないとの主張の方が理解できる。

すみません。意図が読み取れませんでした。

水質汚濁防止法で、「亜鉛のみ」を管理すれば十分(な生物の保全)効果が出るなどとは言っていないのではないでしょうか。亜鉛を最初に管理するとした優先順位のつけ方(意思決定)が問題(課題)としてはどうでしょうか。その下の複合暴露の件も同じです。排水規制強化の課題としては説得力に欠ける。

おっしゃる通り,言ってないと思います。ただ,排水基準を強化しておいて,”十分な”効果が出ないというのは,おかしいと思いますし,本質的には濃度の減少ではなく,水生生物の保全が目的であるはずなので,排水規制強化の課題としては挙げられると思います。優先順位のつけ方が大事というのには異論ありません。

確かに、まとめではこういった記述が出てきますが、ここのリスク評価とリスク管理の対応はしっくりきていません。①基準値設定は“リスク”が勘案されているのでしょうか?②水質環境基準値設定は一種のリスク管理ともとれると思いますが。

これらの指摘は理解できます。①は,確かに単に「安全な濃度」である水質環境基準が推定されただけなので,厳密にはリスクを勘定しているとは言えない気もします。②も確かに,水質環境基準の設定は,行政上の目標が設定されたわけですから,ある意味管理ともとらえられるかもしれません。まとめの部分は再考するとして,該当部分で,リスク評価と管理に対応付けるのはやめておきます。

【生物・生態系の応答を正確に予測するのは困難】だから、大幅に安全側の規制をすればそれで良いんじゃない?てのが今の考え方(ギャップが生じた原因)。規制は緩めにして【これがどういう意図している】そのかわり事後評価を充実させるようにすると、どんなメリットがあるのか?

ある意味もっともなご指摘です。規制を緩くするという言葉にどういう本意は含まれているかわかりませんが,個体レベルの評価から個体群レベル以上への評価に移行すると理解し,以下のコメントを残します*2。ボク個人的には近い将来を考えた際,現実的には個体レベルの安全側の評価からなかなか抜け出すのは難しいと感じていることと*3亜鉛規制の問題は水質環境基準の精度だけでなく排水基準の決め方,もっと言えば,亜鉛以外の要因も含めて,どういう風に河川を管理していくのが良いかという大きな問題に関わっていることから,この点の議論は,ここではしない方がいいかなと思っています。

現段階でも、経済評価はだいたい推定可能なので、以下のような文章に修正されてはいかがでしょうか。「「生物の保全のための妥当な投資金額」を判断することは現時点では容易ではないが、そのような側面からの評価は、複数の背策を比較検討する上でも有効である。」

色々問題があり,該当文章は削る予定ですが,念のため。確かに,経済評価【排水基準の強化でどれくらいコストがかかるか】は可能ですが,問題は生物の方ですね。SSDを使えばとりあえず推定はできますが,相対値として複数の化学物質で比較する場合はまだしも,絶対値としてはほとんど意味をなさない気がします。

環境基本法では、「政府は環境を保全する上で維持されることが望ましい基準を定めるものとする」、とあり、ここでの基準は"standard"であり、強制力はなく目標値である。ただし同法では、「国は必要な規制の措置をしなければならない」、と定められており、これをもとに、水質汚濁防止法による排水基準の措置がとられる。この排水基準は"standard"ではなく"criteria"であり、目標値ではなく強制力を持った規制値である。日本語だと同じ「基準値」でも意味が違うことに注意。目標値では安全側の基準値設定でも問題ないと考えられるが、規制値では安全側に偏りすぎると負の影響の方が大きくなり問題となると考えられる。つまり、安全側の目標値設定を規制値設定に使うことは本来ダメなのだが、亜鉛の場合ごっちゃにされていることが問題なのでは?言い換えれば、安全側のリスク評価と現実的なリスク評価は違って、その目的(目標値導出なのか、規制値導出なのか)に応じて使い分ける必要がある、ということになる。
(standardとcriteriaの区別はわかりやすく説明するために用いたもので、海外でも厳密にこれらの用語が区別されて使われているわけではありません。)

この内容を書いてある文章は,岩崎・及川(2009)の水質環境基準と排水基準の関係というところで議論しているつもりです。この視点はおもしろいと思っていますが,実際にどうするかを考えた場合に,あまり御利益がないかもしれないとも思ったりもしています。原稿中に適宜このような内容を加えたいと思います。あと,ボクの認識では,standardとcriteriaは逆です。目標値がcriterionで基準がstandard。アメリカでは,EPAcriteriaが州レベルでstandardsになるはず。。

全般的にストーリーはわかりやすいが、意思決定に対する検討が行政と研究者間のテクニカルな部分に絞られている。経済評価の検討を膨らませれば、社会的な意思決定とのギャップに拡大できる。例えば、ウスバカゲロウが大事か、事業者の経営が大事か、などの論点も面白いと思う。

ありがとうございます。この視点はおもしろいのですが,明確な結論を導くのが難しく,ここまで議論できる土台がないように感じています。

*1:濃度の減少を考える方が分かりやすいのと,亜鉛以外の要因も生物には影響しているので排水規制による保全効果という意味では,濃度のそれより小さくなると思われます

*2:コメントを頂いた方の意図からずれているかもしれません

*3:とここで言ってしまうと,元も子もない気がしますし,「何を弱気になって」と言われるかもしれませんが,別にへたれているつもりはありません。今まで通り,自分の思う方向で研究をする予定です。ただ,正直に言って,このメインの流れを動かすのは相当な時間と労力が必要だと思います。その中でどういう方向に展開するのが良いかは,取り扱っている問題によって異なると思います