A way of thinking

筆者個人の思考過程です。意見には個人差があります。

Tannenbaum, L.V., 2005. A Critical Assessment of the Ecological Risk Assessment Process: A Review of Misapplied Concepts. Integr. Environ. Assess. Manag. 1, 66-72.

読みづらいので,読み違えている可能性があります。以下,個人的メモ。おそらくこの方は,(陸上の)site-specificなERAを念頭に置いて話を展開されていると思います*1。全体的にとても挑発的なコメンタリー*2

#1 測定対象として"リスク"は完全に間違っている
汚染サイトにおいて対策を実施するかどうかを決めるには,影響があるかどうかを調べないといけない。ずーと汚染サイトに生息しているということは,影響を調査する目的(意味)がないのではない(か)という主張。もうめちゃめちゃ長いこと汚染地点に生息しているのに,影響がみられてないという条件下で,将来影響があるかもしれないという可能性を示唆するのは非現実的(だろう)。

#2 仮にリスクでいいとしても,我々はそれを測定していない。
HQはリスクの指標でない。HQで過大評価だけでなく,過小評価もされている。HQバカから抜けだそう(意訳)。

#3 Eco-preliminary remediation goalsをつくらんといかんけど,そんな方法は(いまんとこ?)ない。
ほぼHQの問題について議論。

#4 化学物質の体内負荷はA receptor is at riskということを示してはいない
そのまま。体内負荷とその影響について知見が得られるまで,不必要にデータをとる必要はない。Food webな話をするときも同じ。逆に体内負荷量が非汚染サイトと変わらないからといって,healtyとも言うべきではない。

#5 ほとんどすべてのケースで,評価するために,空間的に妥当な動物なんてない。
陸上のERAが行われるサイトの通常の面積は,動物の行動範囲と比較してかなり小さいので,そういう動物を対象にしてERAをする理由はあるのか?という主張。など。

#6 予想される影響を検証するために,野外調査はめったに行われない。もし行われたとしても,それを検証できるようなものではない。
うさぎに対するHQが1であった時に,そのサイトの土を使ったミミズや植物の毒性試験をして何が分かるというんだ(意訳)。ほんとにこういう状況があるとすると,あまりにも間抜けな気がするのですが(感想)。

#7 統計的有意差を強調する傾向がある
室内試験ベースの色んな毒性学的応答を調査することは,雑誌掲載のためという点では適切だが,そのような知見はまったくERAを支援しないかもしれない。結局どれくらいの違いがERAのフレームワークの中で重要なのか?→20%(with 最低限の経験的支持)減少値がしばしば提案されている→20%より全然高い値でも"大丈夫"な例。関心のあるレベルに及ぼす影響を評価できるベンチマークを開発することが重要な仕事(少し意訳)。

#8 繁殖以外の毒性学的エンドポイントを調べるのは,おそらく無駄な努力と思われる*3
動物内部の話か外部の話(個体数の変動とか)を区別することを提案。

*1:なので,その他のケースに関わっている方からすると,少し変に感じられるところがあるような気がします

*2:個人的にはもう少し?予防的なスタンスの方がいいような?気もしますが。

*3:この文脈での繁殖とは個体群の維持に近いような気がする。