また書くが『急に具合が悪くなる』はソフトな装丁とタイトルからサブカルエッセイ風味なのかしらとも思いつつ読み始めたが、これ以上ないほど「どマッシブ」な内容でした。蝶野正洋vs中西学戦くらいのつもりで読み進めていったら、木村政彦vsエリオ・グレイシーのようなガチ戦だった。みんな読もうぜ
— takehiko-i-hayashi (@takehikohayashi) 2019年12月6日
以下は,個人的なメモ(ネタばれ注意):
- 個人的に感じた大きな点は以下の2点
- シリアスな問題における個々の意思決定において,確率的な科学的エビデンス*1がほぼ無力(かもしれないと感じた)
- 良さそうな方向は多分提示してくる。ただ,シリアルな状況下で細かな情報を元に複数の選択肢を(自分の意思で)選ぶのは,相当しんどいし,そもそも確率を個人として咀嚼する限界を強く感じた。
- ”連結器として化すことに抵抗をしながら,その中で出会う人々と誠実に向き合い,ともに踏み跡を刻んで生きることを覚悟できる勇気”。まさにこの言葉通りなんだけど,ボクもこういう生き方をしたいんだなぁ(できるだけしようとしているなぁ)と思って,すごく良かった。傷つかない方法を教えてくれるけど,それじゃ実は個人的には面白くなくて,もっとギリギリなやりとりの先に,互いにとって刺激的で居心地のよい関係みたいなものが生まれると思っている*2。なんかこういうのを言葉として読んだことがなかったので,個人的には「おーこれ「自分探してます!」みたいな人にもぴったりの人生指南書じゃないか」と思った。
- シリアスな問題における個々の意思決定において,確率的な科学的エビデンス*1がほぼ無力(かもしれないと感じた)
- 以下は,雑多引用とメモ。
- "「正しい情報」とは客観的で一般化可能性があるとされるエビデンスです。でも私はこういう大合唱に手放しで賛同することができません(中略)。それはある具体的な文脈に埋めこまれ,医療者の口から具体的な言葉でお話として語られます"
- "確率ごとに心を分割して,その仲で何かを決めるなんて至難の業です"
- "選ぶの大変,決めるの疲れる"
- このあたりが前述の前者あたり。宮野さんの立場に擬似的になることによって,いや確かにそうだよなぁと痛感しながら読んでいました。
- "選ぶとは能動的に何かをするというよりも,ある状態にたどりつき,落ち着くような,なじむような状態で...(後略)"
- この感じもボクはすごく好きで,こういうゆったりとした「選ぶ」を日々心がけられるといいなぁと思ったり。
- "偶然性は「失われた環」の提示ではあるのですが,「今その時」の出会いの衝撃を表現するだけで,決して原因を説明してはくれません"
- "余分なのものは,余計なものじゃなくて,会話の広がる余地を作る"
- "ほどほどの患者"
- "軌跡と連結器","徒歩旅行と輸送"
- ”人と人の間にあったはずの(とまどいを含めた)動きがなくなってしまっている”
- "選択において決断されるのは,当該の事柄ではなく,不確定性/偶然性を含んだ事柄に対応する自己の生き方である"
宮野さんのご冥福をお祈りします。一度お会いしてみたかった。